中国武術基礎知識講座


文/中国武術WEB編集部 
参考資料:中国武術大辞典(馬賢達主編 馬明達副主編 習雲太副主編など) 








○中国武術とは?
悠久の歴史があり、広大な中国大陸に伝わってきた中国武術は、いろんな種類の武術があり、
大きく別けると、素手で行なう「徒手武術」と武器を持って行なう「器械武術」の二種類になる。


    


中国武術

↓              ↓
徒手武術              器械武術

↓        ↓       ↓      ↓    ↓    ↓   ↓
シュアイジャオ    拳術(拳法)   擒拿術      長兵    短兵    軟兵   暗器

          ↓      ↓                          
         北派     南派

       ↓   ↓   ↓   ↓
           内家拳  外家拳  長橋大馬  短橋狭馬


    


●拳術とは?
拳術とは拳や足、その他の身体各部を用いて、相手に打撃による攻撃、すなわち突き、打ち、蹴り、肘打ち・・・・といった当て身など
の攻撃を行なうものである。
時代や地方によっては、技撃、手搏、白打、把式、功夫、拳頭などと言われており、日本では一般的に中国拳法という名で親しまれている。


    


北派南派について
楊子江(長江)を境として、それより北方の、特に黄河流域の地域で行なわれた拳法を北派拳術。楊子江より南方の地域にて行なわ
れた拳法を南派拳術と呼ぶ。
南船北馬という言葉があるように、昔の中国では、乾いた広大な北方での交通手段は主に馬が、運河が多い南方では船が多く用いられていた。
それにより、北派拳術では馬に乗ったときの姿勢(馬歩)が基本になっており、南派拳術では船上で櫓を漕ぐような立ち方が多い。
それぞれ地域、風土のの生活習慣が出ている。
それと、北派と南派の違いを象徴的に言い表わしたものに「南拳北腿」という言葉がある。これは、北派拳術のほうが、腿法や歩法が
多く、縦横無尽に動き回って、伸びやかにと技を用いるのに対し、南派拳術では、両足を踏ん張った姿勢から手技を用いることが
多いことからそのようにいわれている。
こうしてみると、その土地の風俗習慣が伺うことができる。


    


内家拳外家拳について
内家拳は、力が“内”に秘められている拳術であり、外家拳は、一般的に力が“外”に表面に表われている拳術であるということから、このように称せられている。
これは、内家拳の拳法、「意を用いて力を用いず」という内家拳に属す太極拳用語があるように、練習の時はリラックスして、ゆっくりとした動作で行なうので、一見したところでは、力強さが見れないし、力の出具合もわからない。
しかし、外家拳といわれる拳法は、練習するときに激しく動作し、突きや蹴りを力を込めて用いるために、一見して、その威力のほどがわかる。
また、外家拳の外家は、仏教でいうところの出家のことを指し、内家拳の内家は在家のことであるという説もある。しかし、柔拳の内家拳も、剛拳の外家拳も、どちらも柔・剛の要素を含んでおり、違いは練習の段階上において、どちらを先に習得するかであり、いずれも極めるところは同一である。したがって、拳法を内家拳と外家拳の二つに分類することを異論を唱える武術研究者も出ている。


    


長橋大馬短橋狭馬
南派拳術には二種類あって、「長橋大馬」において“橋”は腕のことを指し、“馬”は立ち方のことを指す。したがって、読んでみれば一目瞭然!字のごとく腕を長く伸ばしたのびのびとした突きを、歩幅の広い立ち方で行なう拳法である。
逆に「短橋狭馬」とは、歩幅を狭くとって立ち、腕を伸ばし切らないようにしてコンパクトに鋭く拳を打つ拳法である。


    


●シュアイジャオ
投げ技を主体とした武術であり、角力などともいわれている。


    


●擒拿術
関節技や経穴(急所、ツボ)を得意とする武術。相手の関節をはずしたり、ツボを突いて体を痺れさせたり、気絶させたりする。


    


●器械とは?

 ●長兵=長い武器。槍、棍、大刀・・・など。
 ●短兵=短い兵器。剣、刀、鞭・・・など。
    ※刀と剣は日本では混同されているが、中国では、片刃で曲線的なものを刀、両刃で直線的なものを剣といい、はっきり区別
    している点に注目されたい。
 ●軟兵=鎖やヒモなどを使って、形が固定していない、折り畳めることもできる武器。三節棍、九節鞭、双節棍(ヌンチャク)・・・
        など。
 ●暗器=“隠し武器”のことで、日常生活用品などにみせかけて、懐などに隠し持っていることが多い。峨嵋刺、弾弓、飛剣、
        飛針など。







〜主な中国武術の門派〜




○内家拳(北派)



●太極拳

・陳式太極拳
各派の太極拳の源流であり、河南の陳家溝の陳一族の間に代々伝えられていた拳法。発勁の緩急あることにより、剛柔の要素を含み、すべての動作に纏絲がかかっているその技法は難しく、習得するには長年月を要する。跳躍動作もある。
民国時代になって、陳氏17世の陳発科(1887〜1957)が北京に出て公開し、それから陳姓以外の人たちにも伝わることとなった。

≫≫17世陳式太極拳伝人である陳発科の動作が見られるホームページはこちらから

・楊式太極拳
河北省の楊露禅(1799〜1872)が陳長興より、陳式太極拳を学んだ後に改変したもの。元来は剛の要素を含んでいたものであったが、現在伝わっているのは緩やかで柔一色のものであり、武術としてよりも一般的には健康法として広く普及している。

・呉式太極拳
楊式太極拳の創始者である楊露禅の次男、楊班候に学んだ全祐(1834〜1902)が創出し、息子の呉鑑泉が後に上海の精武体育会の教師となり、普及に努めた。
独特な前傾はシュアイジャオの技法が生かされているといわれている。

・武式太極拳(カク式太極拳)
陳式太極拳趙堡架式を陳清萍より学んだ武禹襄(1812〜1880)が改変したものが「武式太極拳」。それを三代目のカク為真(1849〜1920)が世に広めたものが「カク式太極拳」であり。姿勢の高い小架式である。

・孫式太極拳
カク為真より、カク式太極拳を学んだ孫禄堂(1861〜1932)が、以前に習得していた形意拳、八卦掌を、三派の共通点を理論だてて一つの体系にしたのが孫式太極拳である。孫家拳ともいわれる。形意拳の歩法、八卦掌の手法、そして開合動作が特徴である。




  陳氏17世・陳発科 楊式太極拳の創始者・楊露禅

●形意拳
伝説によれば、清初に山西省の姫際可が槍術の理をもって考案したとされている。形意拳は、万物のもととされる金・水・木・火・土の五行をあらわした「五行拳」と、十二種の動物の動きから考えられた十二形拳などがある。技法は一見すると素朴かつ単純ではあるが、ひとたび完成すればその威力にはすさまじいものがあるとされる。

●八卦掌
清末に董海川が創始したといわれる拳法。千変万化な技法と縦横無尽な歩法を用いるのが特徴。円周上を動きながら八種の技を練習するが、その技法がすべて開手して掌を用いて行われることから、この名がある。

※太極拳、形意拳、八卦掌これらの拳法は内家三拳と称されている。その他の内家拳は以下のとおり

●意拳(大成拳)
「半歩崩拳あまねく天下を打つ」と謳われた名人郭雲深(1820〜1901)より形意拳を学んだ王向斉(1886〜1963)が、各派を研究し、ついには套路(型を)捨て意拳を創始した。形意拳をベースに、太極拳の柔化、八卦掌の身法、少林拳の立禅を取り入れて構成されている。固定した型はなく、站椿(たんとう)に重きを置き、深手と呼ばれる無型の組手を行なう。

●陰陽八盤掌
一説では、八卦掌の創始者・董海川は、江南にてこの拳法を学んだ後に八卦掌を創始したといわれる。陰陽八盤掌の技法や歩法は八卦掌と大変よく似ている。また、董海川の弟子である劉鳳珍が八卦掌を学んだ後に改名したという説もあり。



孫式太極拳の創始者である孫禄堂による八卦掌





○外家拳(北派)



●八極拳
主に河北省滄州孟村地区の回教徒の間で伝承があった拳法。敵を打つときには体ごと飛び込んでいき、接近戦を得意とする。猛烈な発勁を誇り、その打撃の威力は一打必倒といわれている。正式には「開門八極拳」といわれ、敵の門(防禦)を、“六大開”と呼ばれる六種の開法をもって打ち破ることから、この名がつけられている。
【マメ知識】ラストエンペラーで有名な愛新覚羅溥儀は神槍・李書文の弟子である霍殿閣から八極拳を学んだのである。

≫≫八極拳の解説の詳細はこちらから

●劈掛拳
主に河北省滄州地区に伝承があった拳法。独特な身法と腰を支点にして上体を左右にふり、両手をふりまわすようにして、円の動作により連続的に攻撃は威力大。劈掛拳は、遠い間合いからの攻撃を得意とするので、接近戦を得意とする八極拳と合わせて学ぶ人が多い。また翻子拳、通臂拳などといった流派が劈掛拳を採り入れ練習している。
≫≫劈掛拳の解説の詳細はこちらから

●翻子拳
主に河北や東北地方に伝承があった拳法。“双拳の密なるは雨の如く、脆快なること一挂鞭の如し”といわれるように、一気呵成に満身の力を込めて連続的に拳を繰り出すのが特徴である。短打にて、その発勁は迅速強猛である。別名「八閃番」ともいわれる。
≫≫翻子拳の解説の詳細はこちらから

●弾腿
潭腿、譚腿とも書き、山東、河北、河南などの地域を中心に古くから広く行なわれてきた。套路は一組ずつ左右交互におこない、動作が簡単なうえに実用的なので、他の拳法を始める前にこの拳術を練習することが多いことにより、多くの流派が取り入れて練習している。

●査拳
西域に起源を発する拳法といわれ、山東省冠県、河南省開封などのを中心に、回教徒の間で行なわれていた。多様な蹴り技と手技を組合せた十路の型があり、それぞれに対練の型がある。この拳法は変化に富んでおり、優美なことから、女性の学習者が多い。

●華拳
発祥地は陜西省華陰県とされ、変化に富んでおり、高度な技術を要する。十二路の套路(型)がある。

●六合拳
六合拳と名がある門派は各地に多く存在している。拳法の型は八本の技が基礎となっている河北省伝承のものと、六合短拳、六合短捶、六合単刀、六合双刀、六合棍、六合対棍の型がある山東省伝承のものがある。また、別の門派で湖南、湖北省にも継承がある。

●鷹爪拳
鷹の動作を技法の特徴としている象形拳で、鷹爪手を用いての点穴法や擒拿法などの技法がある。

●酔拳
水滸伝に登場する花和尚魯智深が得意としたという拳法であり、八人の仙人の名をとった八種の型がある。地ショウ(身+尚)門に属する拳法であって、地上をころがったりして、困難な姿勢からの攻撃が多く難度が高い。

●螳螂拳
清初に王朗が少林寺で学んだ拳法を、さらに北派十八門派を加えて集大成して創始したと伝えられている。カマキリがセミを捕らえるところにヒントを得たことから、この名がついている。流派はいろいろあり、迅速で力強い硬螳螂拳(七星・梅花螳螂拳)と、動作が柔らかくゆるやかな軟螳螂拳(六合螳螂拳)、その中間の八歩螳螂拳がある。さらに硬螳螂拳より分派したものとして、秘門等の流派がある。

●通臂拳
主に河北の地域に伝承がある拳術であり、その動作は、猿が腕を伸ばして獲物をとったり、闘う動作から編み出されたものといわれ、敵を打つときに腕が伸びることから、この名がついている。白猿通臂拳(通背拳)、劈掛通臂拳、少林通臂拳、五行通臂拳などの流派がある。

●燕青拳
精武体育学校を創設した著名武術家・霍元甲が学んだ拳法として有名。伝説では宋代に慮俊義が創始したとされている。地域によっては秘宗拳、迷踪拳、迷蹤芸ともいわれる。特徴は複雑な歩法を用い、敏捷な動きで急回転したり、姿勢の高低を急激に変化させたりする。
【マメ知識】ブルースリーが主演した「ドラゴン怒りの鉄拳」は霍元甲の弟子をモデルにして主役とした映画であり、謎の死を遂げた師匠霍元甲の死因を探り出し、復讐するという物語である。


●戳脚
蹴りを得意としており、套路は短く、練習しやすいことから、スピード、機敏性、柔軟性を養うのに適している。手と足をあわせて用い、腿法が機敏で変化に富んでいるのが特徴である。中国北方に伝承されている。

●羅漢拳
羅漢の名は仏教の十八羅漢よりきたもので、套路(型)の中には羅漢像の姿勢が取り入れられているのが特徴。

●通備拳
通備拳とは近年の滄州出身の著名武術家である馬鳳図(1888〜1973)によって編成された門派であり中国北派で実戦性の高い拳法として知られている劈掛拳、八極拳、翻子拳を主とし、さらに戳脚、蟷螂九手、太祖八斬などを加えて編成されている。 ただこれらの種類の拳法が集められているのではなく馬鳳図の生涯をかけての研究工夫により、各種の拳法を元来の技法を残しながら通備勁道を取り入れて統合させたものであって、元々別々で伝承され、風格や技法がまったく別だった各種拳法を共通の原理により貫いてより良く完成している。 よってそれらを総称して「通備拳」といい、また「馬家拳」とも呼ばれている。




通備拳の創始者である馬鳳図、「武術の郷」滄州出身の武術家である。







○南派拳術



「長橋大馬」



●洪家拳
福建省の洪熈官が、少林寺で拳法を学び、後に洪家拳を編み出したといわれる。特徴は、素朴で力強く、手法を多く用い、腿法は比較的少ない。套路には、高級になると龍、蛇、虎、豹、鶴、獅、象、馬、猴、彪の十種の動物の動きを取り入れた十形拳を学ぶ。拳勢威猛、剛勁有力が特徴。

●太祖拳
北派の太祖拳とは全く別の拳法で、白鶴拳の太祖鶴拳を源流とする説や、明の太祖の遺法であるという説があって、創始者は不明である。土目化鶴、四点金拳、精光四門拳、竜蝦出角、殺眼拳、風車輪、祖伝拳、三戦などの套路がある。





「短橋狭馬」



●詠春拳
ご存知!ブルースリーが学んでいた拳術。伝説では厳詠春が創始したとされている。姿勢が高く、歩幅は狭く短打を強調する拳法である。上半身の動きを主体として、手技が多く発達している。また、あらゆる防禦技術はダイレクトな攻撃技に直結している。
≫≫詠春拳の解説の詳細はこちらから

●白鶴拳
父の方慧石より学んだ少林拳をもとに、方七娘が鶴の精妙な動きを取り入れて創始したといわれており、主に福建や台湾に伝承がある。鶴の食する姿、鳴き飛ぶ姿、宿立する姿、飛ぶ姿などから、それぞれ、食鶴拳、鳴鶴拳、宿鶴拳、飛鶴拳の四大流派がある。

≫≫白鶴拳の解説の詳細はこちらから

●南派蟷螂拳
南派蟷螂拳の一門派である周家蟷螂拳は詠春拳の最大ライバル拳法だと知られ、その源流は福建少林寺とされており、客家人の間で伝承があった拳法である。広東省・福建省など中国南方地域を中心に伝承されている周家蟷螂拳や朱家蟷螂拳などが分かれて伝承されていると知られている。
≫≫南派蟷螂拳の解説の詳細はこちらから


※反清復明について
清の統治者である女清族を中原から追出しその前代の王国・明の時代と同様に漢民族の国を取り戻そうと言う運動である。中には南方へ逃げ延びて「反清復明」の活動をしていた。その拠点が南少林寺であり、その活動の中で発達した武術が南派少林拳であるという伝説があったが、現在では南少林寺の存在自体が架空のものであるとされている。清の時代の武術家の多くは「反清復明」の思想を持っており、南派拳術は革命戦士を養成するために、短期間で習得できる合理的なシステムができたといわれている。









○套路(とうろ)とは?
套路は、空手道でいう「型」である。套路の練習の目的は、一定の順序に従ってひとまわりの動作を連続しておこなう練習法を行うことにより、身体基礎鍛練、功力、攻防技術の習得などであるが、技を組み合わせて構成された各門派の套路には、先人が工夫・研究した技法の精華がおりこまれており、各門派の独自の風格を備えている。





○気とは?
人体はもちろん、地球上のあらゆる生命体の中に存在して流れめぐっている生命エネルギーといえるが、武術初心者はまずは「気」を「空気の圧力」と理解すべきである。



  ●気沈丹田(きちんたんでん)って?
  意念によって気を丹田に沈めるという意味。方法はは正しい指導の下で修練を重ねないと体得できない。


  ●丹田(たんでん)ってなに?
  丹田とは、上丹田(眉間)、中丹田(胆中)、下丹田(臍下)の3種類があるが、武術や気功の修練では主に下丹田を意識し
  用いる。
  臍下丹田(下丹田)の位置は臍から3、4センチ下の位置にあるツボである。
  ここのツボから丹(薬)が湧出されるといわれ、気や勁を練ることにより臍下丹田に充満し、そこから強い勁やエネルギーが
  生まれる。
  臍下丹田は身体の蓄電器的な機能であり、観念めいたものではない。





○架式(かしき)ってなに?
架式とは拳法における姿勢のこと。武術においては、正しい姿勢を会得することが非常に重要である。先人によって悠久の長い間の経験や研究を経て完成されたもので、力学的、生理学的にも大変優れたものである。初心者はまず正しい姿勢を習得するべきである。
初心者に基本の立ち方である馬歩(騎馬式)を行わせてから教えるケースが多い。伝統武術の世界では、こうして基本の立ち方を覚えさせながら呼吸と意識を求めるのと同時に、学習者のやる気を試したり、人間性を見たりしていることもある。





○勁(けい)ってなに?
“勁”は“力”と混同されがちだが、両者はまったく別の性質のものである。力が自然なもの、つまり生まれつき持っているものであるのに対し、勁は人為的な訓練によって後天的に会得するものである。勁は広範囲に用いられているが、大きくわけて、「修練してできた能力」と「圧縮された出た力」の二つを意味する。
これらの勁を会得するには、長年月にわたる練習が必要であり、特に発勁は秘伝を得ずして完成させることは困難である。ハッキリ言って我流では無理である。



  ●発勁(はっけい)
  発勁の勁とは正しい姿勢と身体操作による動作などによる伝達した力である。
 これらの姿勢と動作により全身体内のエネルギーを統一協調させて、一瞬にて爆発させるのが発勁である。
 「蓄勁(発勁を行う前の準備段階)は弓を引くが如く、発勁は矢を放つが如し」という表現がされた要訣がある。

  ・長勁=長い距離から打ち出す勁

  ・短勁→寸勁=3センチの距離から打ち出す勁
      →分勁=3ミリの距離から打ち出す勁

  ・冷勁=接触した状態で打ち出す勁



  ●化勁(かけい)
  敵の攻撃してくる力を受け流すことによって、敵の攻撃力を無力化にし、勢いに乗じて体勢を崩す。
  太極拳ではこの時の口訣を「沾(セン)・黏(ネン)・連(レン)・随(スイ)」と表現しており、沾は相手に接触する、
  黏は接触したまま離れない、連は相手の動きに連なる、随は相手の動きに随う、という意味。
  太極拳では「捨己従人(シャキジュウジン)、ようするに、「己を捨てて相手に従い、機を乗じて勝ちを得る」ことを理想していて、
  推手(スイシュ)などの相対練習をおこなっている。



  ●聴勁(ちょうけい)
  敵と触れ合っている部分によって、相手の出方を察知する能力。





○放鬆(ファンソン)って?
身体をリラックスする意味だが、単なるたるんだりする"力抜き”ではないということ。「放鬆」は緊張の解けた、余裕のある伸び伸びとした状態であって、意識の作用によって達せられた全身の関節及び筋が伸び伸びとした状態である。
そんな状態でこそが気や勁の滞りを防ぎ、柔軟な身体から強い発勁を生じることができる。それだけでなく柔軟にあらゆる攻撃にも対処ができ、必要な力(勁)を効果的に集中できるのが可能となる。
「放鬆」を会得していない人は武術の完成はできないといわれており、中国武術独自の内面の力をひき出すにはやはり「放鬆」が必要不可欠である。
初心者の人はまず、身体の筋肉を力の「原動力」としてではなく、力の「伝達器官」として働かせるためのものとして考えて練習をおこなうといい。だから「放鬆」は重要である。





○歩法とは?
歩法とは、いわゆるフットワークの意味。歩法は実戦の時の武術の生命ともいわれるほどです。





○三盤合一(さんばんごういつ)とは?
八極拳用語。「三盤」とは肩・腰・足にあたる身体の上・中・下の身体の3つの部分が連なって動くように心がけ、それらをあわせて心・意・気という「内三合」をもあわせて身心を協調することによって強い発勁を打ち出すことができる。





○呑吐開合(どんとかいごう)って?
通備拳用語。「呑吐開合」とは独特の身体の伸縮運動によっておこなう発勁方法である。
「呑吐」による胸腹の凸凹による身体操作運動(身法)によってできた力(勁)を、さらに全身全体を開ききったり、閉じたりする操作を協調させて発勁をおこなう。
ようするに、尾骨から頚椎までの脊髄全体をあたかも、弓を引いたり、弓を発したりするがの如く操作をし、独特の胸腹を使った勁の蓄と発の動作をおこなう。それにより「呑吐」と「開合」の二種の勁が協調され発揮できる。よって呼吸は胸式呼吸と腹式呼吸をおこなう。
さらに身体の起伏操作と全身の捻りから出された螺旋の力(起伏捻転)をも協調させることにより、より爆発力が加速し、疾速な攻撃と防御ができ、それによって円による曲線の軌道の手法や歩法などをおこなうことができるので、敵に乗ぜられる隙を生じない。
まさに通備劈掛拳独自の発勁方法を行うための身体操作であり、正しい指導の下で長年指導を受けて修練しなければ体得は不可能である。





○練功って?
練功とは技の威力を養成する鍛練のことで、大別して内功と外功にわけられる。



  ●外功
  主に人体の皮膚、筋肉、骨などを鍛えるものである。その代表的なものに硬気功の一種である鉄砂掌と呼ばれる鍛練法がある。
  これは独特の漢方薬を煎じた薬を用いながら、砂袋をたたいて手を鍛えるもので、功を積めば積み重ねたレンガを一撃で打ち
  砕くほどの破壊力が得られるという。



  ●内功
  呼吸や意念により充満した丹田の気を全身にめぐらせたり、体の内面、内臓および経絡を気を練ることによって鍛えるもので
  ある。
  内功によって功力を得ることは、長い年月の苦修苦練を必要とするが、こうして高められた功夫は齢をとっても衰えないといわれ
  ている。
  内家拳と呼ばれる拳法が重視しているといわれているが、外家拳や南派拳術の流派の中でも内功のような練功法が存在して
  いるので、内家拳だけの専売特許だけではない。

内功で代表的な流派 戴氏心意拳=丹田功、通備劈掛拳=大架子、白鶴拳=白鶴震身など



戴氏心意拳伝人霍永利氏による丹田功 南下五虎将と称された顧汝章による鉄砂掌


顧汝章の硬気功の演武《千斤石圧腹》





○纏絲勁(てんしけい)って?
纏絲とはねじり、すなわち螺旋の動きを意味するのである。
螺旋状にねじった力(勁)を体内にめぐらせて発出させる。





○散手って?
散手とは定式にとらわれず、自由に技をかけあって打ち合ったりして攻防を練ること。





○制定拳と伝統拳の違い
古くから伝承されている伝統の套路を伝統拳といい、伝統拳を母体として、新たに編纂された套路を制定拳と呼んでいる。また近年、中国では伝統の武術がさまざまな角度から研究され、多くの実績を上げている。
また最近の中国における表演賽では、規定の時間内に自由に他派の技法を組み入れることができるので、伝統の套路とは趣きの異なったものも多い。
なお「制定拳=表演用の武術」と誤解している人がいるが、これは間違いである。制定拳とは、二十四式、四十八式太極拳、甲乙組長拳などのように、伝統の各派の太極拳から国家体育運動委員会などの公的機関により、新たに編纂されたもので、その普及を旨としている。
表演武術は、伝統武術(表演用伝統拳)、制定拳ともに、表演会において得点を競うのが目的であるために、高得点が得られる動きを多く取り入れたもの。





○「武術の郷」滄州(そうしゅう)
「武術の郷」として有名な滄州は天津の南、現在の河北省滄州地方にである。ここから多くの実力がある武術家を輩出している。
「保ヒョウ(金+票)」は滄州に到りては喊ばず」と古くから武術家の間ではこのような言い伝えがある。昔から中国の武術家は生活のために従事した職業に、運送品や旅行者を盗賊から守る警備職があり、このような職業を「保ヒョウ(金+票)」という。腕に自信がある武術家がこのような仕事をしていた。
警備の途中で町や村に到った時は大声で叫び、保ヒョウ(金+票)であることを誇示し土地の人を威圧して通るのが常であったが、滄州に限っては敢えて叫ぶことはせず、保ヒョウ(金+票)であることを隠していたという。なぜなら滄州の住民は武術にすぐれている人が多く、誇示したら、逆に滄州住民に反感を買って、危険な目に合うからである。このことによって滄州がいかに武術が優れた地域だというのがわかる。
滄州は東には渤海湾があり、陸路を北上に進めば天津から北京へとたどり着くことができる。よって交通の要所であることからか、昔から反乱軍の逃亡者や犯罪者が逃げ延びてきて、城外に隠れ住み、通行人や住人を襲うケースがしばしばあった。それにより滄州の住民たちは早くから自衛のために武術を練習していた。
「水滸伝」に出てくる近衛軍の師範の林沖が冤罪で流刑になった地として知られている。
滄州は漢民族、回族、満族などが共存していている地であり、旧社会ではこれらの民族がしばしば対立していた。
それに、滄州は塩分が含んだアルカリ土であって農作物が実らない貧しい土地であって、農業では駄目なので、武術によって身を立て、武術教師、保ヒョウ(金+票)になることが多かった。中には馬賊になった人もおり、馬賊に金品を強奪されそうになった時に、滄州の出身だと言うと見逃してくれるケースがあったほどであったと言われている。
こうした状態が長い間続いていたので、優れた武術及び武術家が出てくるのは自然な流れであった。







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